食育と環境教育について

中央区は、平成29年3月に「中央区民の健康・食育に関する意識調査 報告書」を出しています。

調査期間は、昨年平成28年10月21日から11月8日まで、対象人数は2800人(成人2000人、19歳以下のこども800人)です。

アンケートに答える形式で、たとえば「健康のために実践している習慣」については、「野菜をたくさん食べるようにしている」が54.8%で最も高く、次いで「喫煙をしない」が44.2%、「定期的に運動する」、「睡眠を十分とる」がそれぞれ42.1%、「何もしない」という人は、8.5%という数値です。

中央区食育野菜キャラクターの認知度、という質問項目は、「知らない」が91.7%。

私も、知りませんでした!!! 野菜のキャラクター?見たことありません・・・

「噛みんぐ30の認知度」は、内容を知っている9.9%、言葉として知っているが14.7%、知らないは73.8%という数字でした。

分厚い報告書を読んでいますが、私はいつも食育に関して思うことがあります。

私自身が、築地市場で働く仲卸の娘であり、今は、仲卸の社長たちと食育について話すことも多いのですが・・・

私が考える食育は、こうした何かの『テーマ』ではないのです。

もっと、基本の「基」のお話です。

 

先日、遅めの夏休みとして、長瀞の川下りを楽しむため、マラソン仲間たちと3人で1日だけのショートトリップを楽しみました。

その際、船頭さんから「ここは荒川の上流、この川は隅田川に流れ着くんですよ」と説明がありました。

手を挙げて「私はその隅田川の下流から来ました!」と言って、みんなで笑いあったのですが・・・

美しい山並みに青空が広がり、水はとても澄んでいました。

この地には、宝登山神社があり、神武天皇と山の神、火の神が祀られていましたが、神社の飾りは龍王が彫られていました。

神主さんに聞けば、「川があり、山があり、その恵みがありますから・・・水があるところには必ず神社があり、龍が祀られているんですよ」と教えていただきました。

私は築地の仲卸だと伝えると、「この川は隅田川に通じます。確か築地には、波除神社がありましたね?一度、行ったことがあります」とおっしゃいました。

神社特有の太い杉が天高く立ち、すっきりとした空気でした。

ふと私は、思いました。

そうだ・・・雨が降って、その雨水が山にしみる、その山のミネラルを通した水が川へ流れる、その川は栄養分をたたえ、川の生き物たちを肥やし、その川の水を引き込む田畑を潤していく・・・そして川はやがて海へ流れていく・・・

築地の鮭屋の仲卸さんが、「鮭は川の水と、海の温度が2度違うだけで、遡上できないんだ」というお話をしてくれたことを思い出しました。

今は、海水温が高くなりすぎて、生まれ故郷の川に戻る鮭が少ない、魚体も痩せて、スレンダーな鮭が多い…ということも伺いました。

鮭にとって、海水温1度は、人間の10度にも匹敵するそうです。2度違うというのは、20度違うということ。

それだけ敏感な生き物、ということですね。

また、卸会社の社員が、「ロシアのアムール川の流氷が、肥沃な川を凍らせて北海道の海に流してくれるのですが・・・温暖化で、アムール川が凍らなくて、北海道の海にプランクトンが少なくなっているのです。だから、昆布や、ホタテが育たなくて・・・北海道はもともとプランクトンが少ないので、アムール川の流氷頼みなんです」と仰っていたことを思い出しました。

その頃、温暖化が顕著となり、ホタテが育たなくて、高騰していたのです。日高昆布、利尻昆布も上等のものがないとおっしゃっていました。

さて・・・私は、鮭屋さんのおはなしと、アムール川の流氷が運ぶプランクトンの話、長瀞の自然を通し、つくづく悟りました。

自然界の恵みがあって、はじめて人間は田畑を潤し、作物を作ることができ、川や海では魚の命をいただいて、日本人は生きてきたと。

食育は、確かにテーマごとの調査を『食育』カテゴリーに入れるのは良いけれど、本当は、こういう調査をするのは区民の健康志向調査や栄養認識調査であって、食育とはいえないのではないか?と思うのです。

本来の食育は、私が先ほど申し上げたことだと思うのです。

自然界の循環、これがあって、初めてすべての生物が生きていけます。その命を殺生して、人は自分の命に代えているのです。だから、「いただきます」と言って、殺生した命を自分の命に代えさせていただきます、と感謝と弔いの気持ちを唱えて、お食事をいただいているのです。

まずは、自然界の循環があるからこそ、食卓に様々な食べ物が並ぶということを、知らなくてはならないのでは?と思います。

コンビニでもスーパーマーケットでも、当たり前のように、調理済みの食べ物が簡単に手に入ります。

でも、その食べ物も、もとをただせば、太陽の恵み、水の恵み、滋養ある川、海の恵みで育った農作物、魚なのです。

それを丁寧に育ててくれる農家があって、漁師さんがいて、多くの人たちの手を通しながら、台所で調理をしてくれる親がいて(一人暮らしは自分で作ってますけど)、食卓に食べ物が並ぶのです。

自然界の恵みと、育ててくれた人たち、料理してくれた人たちへ感謝することも食育ではないでしょうか。

中央区は環境教育をこどもたちに各学校で行っていますが、本来、環境と食育は、分断できるものではないはず。

ここは、つなげて、教えていけるはず・・・そう思いませんか?

食だけ教えればよいのではなく、その食べ物をいただけるのは、自然界の循環があるからこそです!

この基本の「基」を教えることは、自然環境を大切にすることに通じ、そこから生まれる農作物、魚の命に感謝することへとつながっていきます。

私は、魚を殺生する商い(幸い、マグロとカジキの専門店なので、自らの手で殺生することは免れています)で育ちました。そして今、会社の経営に携わっています。

魚をどう食べるか?

野菜をどう食べるか?

・・・は、栄養学の分野であり、食べ方はマナーの問題だったりします。

「食育」は、自然への理解、感謝、大事にしようという思い、そこに通じていく話では?と思うのです。

この中央区で育つ子どもたちには、日常に自然環境に親しむ場がありません。

自然に感謝する、雨、太陽、山、川、海・・・その循環の中で命が生まれるということを肌身で感じることは難しい環境です。

食育を行うことで、自然への理解も伴う。ここを大事にしていける大人になってほしいと思います。

それこそが、「食育」であり、「環境教育」につながっていく・・・私は、そう考えています。